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天皇パチンコ暴行事件

 今回は、『昭和・平成日本テロ事件史』(宝島社、2005、別冊宝島編集部編)より、「天皇パチンコ暴行事件」についてまとめます。

1、奥崎謙三の戦争経験

 ・奥崎はニューギニア戦線に従軍する。敵兵の襲撃だけでなく飢えとマラリアの中で幾多の戦友の命が奪われるが奥崎は右手の小指を失いながらも奇跡的に生き延びる。その後、銃殺される覚悟で敵軍の捕虜となったが、その扱いが予想外の穏当なものであったので、天皇および日本の戦争に対する疑念と怒りが奥崎のなかで定着してゆく。

2、復員後

 ・復員した奥崎は、神戸にバッテリー商を開業する。しかし、不動産業者とのトラブルから業者を殺害し懲役10年の服役をする。その独房の中で昭和天皇の戦争責任に対する考えを先鋭化してゆく。

3、天皇パチンコ暴行事件

 ・奥崎は出所後、昭和44年(1969)1月2日の新年参賀の日に皇居前皇居長和殿バルコニーに姿を見せた昭和天皇に向けて、奥崎は「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て」と叫んでパチンコを発射した。奥崎は暴行罪で逮捕され、裁判では昭和天皇の証人出廷を請求したが認められなかった。判決は1年6ヶ月であった。しかし、出所後も奥崎は天皇一家のポルノ写真をばらまいてわいせつ図画頒布の罪で懲役1年2ヶ月の刑に服している。

4、『ゆきゆきて、神軍』

 ・奥崎は昭和57年(1982)から原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演する。戦地での人肉食事件を追及の結果、元中隊長を殺そうと訪れるが不在で、かわりに息子を手製ピストルで撃ち負傷させる。ここまで映画の結末としておさめられ、殺人未遂などで懲役12年の判決をうけ服役する。

5、『神様の愛い奴』

 ・平成9年(1997)に満期出所した奥崎はドキュメンタリー映画第二作『神様の愛い奴』の出演する。自らの理想郷「ゴッドワールド」を建設する構想を打ち明ける様を紹介しながら、その日常に密着した作品である。

6、死去

 ・奥崎は2005年に入院先の病院で85歳で死去する。死ぬ直前まで気性は激しく「バカ野郎」と叫び声を発していたという。

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ラストエンペラー溥儀暗殺計画

 今回は、『昭和・平成日本テロ事件史』(宝島社、2005、別冊宝島編集部編)より「ラストエンペラー暗殺計画」についてまとめます。

1、経緯

 ・昭和10年(1935)に東京都新宿区で小見山登が逮捕された。取調べの途中で小宮山は近く訪日が予定されている満州国皇帝愛新覚羅溥儀の暗殺計画の話をした。凶器のピストルも陸軍士官のクラブ階行社から盗んで準備をしていた。

2、小見山登とは

 ・小宮山は大正2年(1913)岡山に生まれる。大学中退後に神戸へ移り住み紙芝居屋をはじめた。さらに、近所の貧しい子らを相手にして無償で勉強を教えていた。また、共産党や無政府主義者との関係を疑われて取り調べを受けた経験もある。小見山は中国中日大使館に乱入して逮捕され懲役にふくし出所後に日活映画の俳優となった。しかし、数本の映画に出ただけで日活をやめ、その後はささやかな詩吟の会兼右翼思想の勉強会示心塾を結成した。階行社からピストルを盗んできたのはこの示心塾のメンバーである。

 ・小見山は敗戦後も戦犯釈放を訴えて新宿駅東口でハンストに入り10万人の署名を集めてアメリカに送ったり、1948年には戦犯受刑者の釈放のために行幸中の昭和天皇に退位を迫る直訴を行ったりもした。

3、犯行の動機は

 ・小見山によると、アジアの平和は日中の友好以外にはないが、満州は日本が得手勝手にこしらえたものであるので日中友好そ阻害するものである。よって溥儀を亡きものにすれば満州国は瓦解する。また、アジアの平和を乱す元凶としてソ連大使館と英国大使館も焼き討ちする予定である。

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武藤山治射殺事件

 今回は、『昭和・平成日本テロ事件史』(宝島社、2005、別冊宝島編集部編)より「武藤山治射殺事件」についてまとめます。

1、経緯

 ・前鐘紡社長で時事新報社の事実上のオーナーであった武藤山治が昭和9年(1934)に別邸から上京しようと北鎌倉駅へ向かう途中で銃撃され死亡した事件。犯人は大学中退後に株ブローカーなどで生計を立てていたが犯行当時は失業中であった福島新吉であった。福島は犯行後自殺している。

2、武藤山治とは

 ・慶応3年(1867)に生まれ、慶応大学卒業後にアメリカ留学をへて鐘紡の兵庫工場の支配人として入社する。労働組合のない民主的な経営方針を目指して鐘紡中興の祖といわれる。鐘紡引退後は時事新報社の相談役として事実上のオーナーであり、財界の大物でもあった。

3、犯行の動機は

 ・福島は荒川区尾久町の東京市営火葬場建設について個人で調査して武藤に意見を具申していた。ところが武藤はこれをあたかも自分の意見のようにして世間に発表し、これに福島が抗議をし3000円を要求していた。武藤は30円で解決しようとしていたので話はまとまらずに福島は各新聞社に遺書を送りつけた後に犯行に及んだ。


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