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在日コリアンの歴史(17) 地方参政権獲得運動

 今回は、『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会、明石書店、2006)と『大嫌韓時代』(桜井誠、青林堂、2014)より、地方参政権獲得運動についてまとめます。

1、意義

 ・1987年に民団は「納税の義務を果たしている者の当然の権利として、地方選挙への参与を要求する」と主張したように、1980年代から在日コリアンの中で地方参政権を求める声が大きくなってくる。ただし、朝鮮総連は、地方参政権は同化政策であるとして消極的であった。

2、司法

 (1)、概要

  ①、事件

   ・1990年に金正圭(キンジョンギュ)ら11人の在日コリアンが、公職選挙法に基づく選挙人名簿に在日コリアンが登記されていないのはおかしいとして、大阪市など選挙管理委員会を提訴した事件。

  ②、争点

   ア)、争点

    ・地方自治法18条や公職選挙法9条は、地方公共団体の住民の選挙権を保障した憲法93条に違反しているか。

   イ)、参考条文

    憲法93条2項

     地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

    地方自治法18条

     日本国民たる年齢満二十年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有するものは、別に法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する。

    公職選挙法9条

     日本国民たる年齢満十八年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する。

 (2)、判決

  ・1995年の最高裁の判決は、主文では憲法93条2項の住民とは日本国民のことであり、在留外国人に地方参政権を保障したものではないとし、地方自治法18条も公職選挙法9条も違憲ではないとしたうえで、傍論において、「憲法は法律をもって居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していない」とした。

3、立法

 (1)、最高裁判決のインパクト

  ①、意義

   ・1995年の最高裁判決が出され時は自民党、社会党、さきがけの連立政権であった。自社さ連立政権は定住外国人について参政権を与えるかどうか議論を行った。

  ②、相互主義

   ・この議論の中で多数派を占めたのが、相手国がその国に在籍する日本人に参政権を与えている場合は日本でもその国の外国人に参政権を与えるが、相手国がその国に在籍する日本人に参政権を与えていない場合は日本でもその国の外国人に参政権をあたえないという相互主義の立場であった。この立場に立てば、当時韓国においては韓国にいる日本人に参政権を与えていなかったので、在日韓国人にも与えるべきではないという結論となる。

 (2)、立法されず

  ①、盛り上がり

   ・1998年に来日した金大中大統領が国会演説で「在日韓国人二世三世は、日本で税金を納め、大きな貢献をしている。だから地方参政権を与えてほしい」と述べた。これに触発されて、野党である民主党、共産党、公明党から定住外国人に地方参政権を与えようとする試案が提出され、1999年には当時の自民党野中広務幹事長が中心となり、与党三党は定住外国人に地方選挙への投票権を認める法律を成立させることにいったん同意をした。

  ②、抵抗

   ・一部国会議員が定住外国人に参政権をあたえることに強く抵抗し、対案として在日コリアンが日本国籍を取得しやすくする法案(日本国籍取得緩和法案)を提示した。

 (3)、韓国における永住外国人地方選挙法案の成立

  ①、意義

   ・2005年にアジア初の永住外国人地方選挙法案が韓国で成立した。これによって、日本が在日韓国人に地方参政権を付与しない根拠とされていた相互主義の立場は論拠を失ったことになる。

  ②、批判

   ・2005年の段階で地方参政権付与の対象となった在韓永住日本人はわずか51人しかいない。他方、日本に永住する在日コリアンは約54万人、うち選挙権を有することができる20歳以上の在日コリアンは約49万人とみられており、とても対等な参政権相互付与とはいえない。

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在日コリアンの歴史(16) 指紋押捺拒否事件

 今回は、『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会、明石書店、2006)と「戦後在日50年史『在日』」より在日コリアンの歴史についてまとめます。また、裁判部分については芦部信喜氏の『憲法』(東京大学出版会、2002)からまとめています。

1、外国人登録法と指紋押捺制度

 (1)、意義

  ・1952年のサンフランシスコ平和条約の発効と同時に、外国人登録法と出入国管理令が成立した。

 (2)、外国人登録法

  ①、意義

   ・1947年に公布された外国人登録令が廃止されて、外国人登録法が成立した。当時、日本にいる外国人総数64万人のうち在日コリアンはその90%をしめる57万人であったので、主に在日コリアンを対象として制定された法であった。

  ②、問題点

   ア)、外国人登録証明書の常時携帯義務

    ・外国人は、常時外国人登録証明書を携帯し、警官をはじめ日本の官憲が呈示を求めた時は、これに応じなければならず、違反すれば罰則がかされた。

   イ)、指紋押捺制度

    ・1952年に制定当時は14歳、1982年の改正時は16歳以上の外国人は、3年に1回登録書を切り替えるたびに、指紋の押捺をしなければならなかった。さらにその指紋採取も左手の人差し指を180度回転させて押す回転押捺方式であり、あたかも犯罪者のようであった。

2、指紋押捺拒否運動

 (1)、意義

  ・1952年、日本独立とともに在日に強いた外国人登録法の指紋押捺制度から30年。さまざまな抵抗運動はあったが大きなうねりにはならなかった。それが1980年代に入り在日の法制度に対する怒りが一気に噴出した。特にこの運動は、在日の二世や三世によって担われた特徴を持っていた。全国各地で指紋押捺拒否の声があがり、拒否者および留保者が全国で一万人に及ぶというという画期的な運動となった。

 (2)、はじまり

  ・この指紋押捺拒否運動は、 1980年9月に在日コリアン一世である韓宗碩(ハン・ジョンソク)が外国人登録法に定められた指紋押捺は屈辱の烙印であるとして、東京新宿区役所で指紋紋押捺を拒否したことによって始まった。拒否から一年後に韓は牛込警察署の取調べをうけて東京地検へ送検されて外国人登録法違反で起訴された。

 (3)、裁判

  ①、概略

   ・1984年に、神奈川県で指紋押捺拒否をして逮捕された日系アメリカ人のキャサリン・モリカワが、外国人登録法によって要求される外国人登録原票などへの指紋押捺の義務づけが、憲法13条(個人の尊厳、プライバシー)、憲法14条(不合理な差別の禁止)に違反し、また犯罪容疑者と同じ回転押捺式は品位を傷つける取扱いを禁じた国際人権規約第7条に反するとして争われた訴訟事件。

  ②、判決

   ・多数の下級審においては、私生活上の自由の一つとして「承諾なしにみだりに指紋押捺を強制されない自由」があることを認めたが、同一人性を確認するために必要かつ合理的な手段として指紋押捺は合憲であるとした。

   ・最高裁においては、昭和57年法75号による改正前の指紋押捺の義務について、「指紋の押捺を強制されない自由」を憲法13条によって保護される「個人の私生活上の自由の一つ」としたが、押捺制度の立法目的には「十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できる」し、手段も「一般的に許容される限度を超えない相当なもの」であったとした。

3、指紋押捺制度の全廃

 (1)、指紋押捺の形骸化

  ・指紋押捺制度の本来の趣旨は、外国人が同一人物かどうかを確認するためであると自治省は説明してきた。しかし、自治体職員達によって実務においては本人の照合などまったくされていないことが明らかとなり、外国人の指紋押捺制度が形骸化していること分かった。

 (2)、指紋押捺制度の全廃

  ・昭和62年(1987)の法改正で、一年以上在留する16歳以上の外国人は、原則として登録申請の際に一回に限り指紋押捺をすることに改められた。さらに、平成4年(1992)の改正によって、永住資格を認められた定住外国人に対する指紋押捺はすべて廃止された。また、非永住者についても1999年の法改正で指紋押捺制度は廃止され、現在は署名と写真提出の制度に変更された。

 (3)、課題

  ・外国人登録法において指紋押捺制度と同様に問題となった外国人登録証明書の常時携帯義務については、現在もまだ廃止されていない。

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在日コリアンの歴史(15) 就職差別撤廃運動

 今回は、『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会、明石書店、2006)と「戦後在日50年史『在日』」より在日コリアンの歴史についてまとめます。

1、意義

 ・1970年代は、日本生まれの二世が70%を超えて世代交代が進んだ。このような二世たちにとって大きな不安が、学校を卒業した後どのような職業に就くことができるのかということであった。一般企業は在日コリアンの採用を差し控えたり、司法修習生、教師、公務員などには国籍条項があって就くことができなかったりしたからである。民主主義や人権を学んだ二世たちは、このような就職差別撤廃のための運動を行うようになった。

2、日立就職差別事件

 (1)、経緯

  ・在日コリアン二世の朴鐘碩(パクチョンソク)は、日本人の学校を卒業して地元企業に勤めた後に、日立製作所の採用試験を受けた。この時、履歴書には「朴」ではなく日本の通名である「新井」と名乗った。試験に合格した後に会社から戸籍謄本の提出を求められたが、在日コリアンには戸籍がないので、外国人登録証明書を提出しようとしたところ、「外国人は雇えない」として、一方的に採用の取消を通告した。

 (2)、裁判

  ・1970年12月8日、日立製作所を相手に朴鐘碩は、就職差別撤回の訴訟を横浜地裁に起こした。日立製作所は履歴書に通名という虚偽の記載をしたので採用を取消したと主張したが、1974年6月19日に判決が下り、朴が勝訴し、解雇は無効とされた。朴は日立製作所に入社して、定年まで勤めあげた。

 (3)、影響

  ・朴の裁判以後、在日コリアン達が民族差別と闘う組織や運動体をたくさん作っていった。これにより、公営住宅の入居差別、児童手当の支給につけられた国籍条項の撤廃運動、在日コリアンの国民年金の適用等を求める運動が展開されるようになった。その結果、1975年に大阪府と大阪市は在日コリアンの公営住宅への入居資格を認め、全国的には1980年にい公営・公団住宅への入居、住宅金融公庫・国民金融公庫の利用が次々と認められていった。

3、司法修習生に対する国籍条項の撤廃運動

 ・当時、司法試験合格後に司法修習生になるには、日本への帰化が条件づけられていた。1976年に司法試験二次試験に合格した金敬得(キムギョンドゥク)は帰化を拒み、6回に亙って最高裁判所任用課に意見書を提出した結果、1977年に要求が認められ、韓国籍のままで司法修習生となった。その後金は弁護士としても、指紋押捺拒否事件や慰安婦戦後補償問題など朝鮮人の人権に関わる裁判で活躍した。

4、公務員への採用

 (1)、意義

  ・国家公務員法や地方自治法には、外国人が公務員になれないという規定は一切存在しない。1953年に内閣法制局が提出した「公務員に関する当然の法理」という通達による、「公権力の行使または公の意思形成に参画する公務員になるには、日本国籍が必要である」という法解釈をもとに、国や自治体における公務員の採用にあたっては、国籍条項の厳しい制限をつけてきた。

 (2)、国公立大学の教員

  ・1974年に、関西の大学に勤めていた在日コリアンの教員有志が、国公立大学における外国人教授任用運動を始める。この運動がやがて全国的な運動となり、1977年に、現行法令下でも外国籍者を国公立大学の教授に任用できるという公式声明が出され、1982年に国立又は公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法(現・公立の大学等における外国人教員の任用等に関する特別措置法)が成立し、外国人でも国公立大学の教壇に立つことができるようになった。

 (3)、小中高の公立校の教員

  ・1982年に国立又は公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法が成立したと同時に、文部省の人事担当課長会議で小中高の教諭には日本国籍を有する者のみがなれるとする決定がされて、全国の教育委員会へ通達がなされた。このような中、1984年に長野県の教員採用試験に合格した在日コリアンの梁弘子(ヤンホンジャ)は、外国籍という理由で採用が取消される事件が起こった。これに対して抗議が殺到し、1985年に世論と文部省の板挟みとなった長野県は、梁を教諭ではなく常勤講師として採用するという妥協案を発表した。

 (4)、電電公社社員

  ・1975年に、在日コリアンの高校生が電電公社(現NTTグループ)を受験しようとしたが、電電公社は彼らが外国籍ということで認めなかった。大韓キリスト教会や部落解放同盟など14の団体が抗議を行い、1977年には国会においても日本社会党がこの問題を取り上げた。このような運動によって、1977年9月に電電公社は受験資格に国籍条項の撤廃を発表し、1978年には電電公社で働く在日外国人が誕生した。

 (5)、地方公務員一般職

  ①、一般市

   ・1978年に、大阪府八尾市で民団を中心に、公務員の一般行政職の受験資格における国籍条項撤廃を求める運動が行われた。この結果、1979年に八尾市は全国の地方自治体で初めて、市職員の国籍条項を撤廃した。この動きは、全国の地方自治体へと広がっていった。

  ②、政令指定都市

   ・1990年に、文公輝(ムンゴンフィ)が政令指定都市である大阪市の職員になるために願書を提出しようとしたが、国籍条項から受験ができなかった。この後に文は、大阪民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)の呼びかけにより、自治労や部落解放同盟などの支援をうけて抗議活動を行い、1993年に大阪市は一般職に国籍条項をはずした「国際」と「経営情報」という専門職を作って対処をした。

   ・1996年に、川崎市の高橋清市長が地方自治体の3500以上ある職種のうち公権力性が薄い3327の職種について外国人の採用を可能とし、政令指定都市においてはじめて一般事務職における在日外国人の受験資格を認めた。

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