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右翼団体小史(11) 大行社

 今回は右翼活動を行っている側のインタビューをまとめた『右翼の言い分』(アスコム、宮崎学、2007)と大行社のホームページより大行社についてまとめます。

1、概要

 (1)、設立

  ・大正13年(1924)に国の前途を憂えた清水行之助会長が、後藤新平、北一輝の後援を得て設立した。前年の大震災の余韻収まらぬさなかに舞踏会を開催しようとした安田財閥のパーティーを居合術により阻止。5・15事件を機に活動を休止した。

 (2)、再興 

  ・昭和56年(1981)に国際国内情勢が極めて重大な局面にあり、大行社再興の使命を痛感した、当時稲川会三本杉一家総長であった岸悦郎氏が清水行之助初代会長より承継、再興の要請をいただき再結成をした。岸総長はこの時に稲川総裁から「大行社をやれ」と言われて稲川会から籍を抜いている。平成8年(1996)に三本菅啓二氏が二代目となっている。

2、岡樹延理事長と丸川仁本部長のインタビュー

 (1)、言論とテロについて(丸川本部長)

  ・私自身、言論の自由は守られるべきだと思うし、そういう立場で私たちは街頭で運動をやっていますが、我々の言論が公にさらされて、大衆の議論を促す機会に恵まれていないと思います。

 (2)、ヤクザとの関係について(岡理事長)

  ・今、大行社は稼業との縁はありません。全部堅気としてやっています。ですから、専従の人間はいますが、ほかの人間はすべて、仕事をもっています。その給料のなかから会費を払って、あるいは支部費をみんなで出し合って組織を運営しています。任侠との関係は、いろいろとあります。しかし、右翼が政治的な関係で動くときに、任侠の方に協力してもらうことはありますが、任侠の方の政治的な意向で右翼が動くということはありません。

 (3)、警察について

  ①、取調べについて(岡理事長)

   ・最近では、たとえば公安事件で捕まった場合、公安3課の事件班が扱うようになりました。事件班が扱うと、思想的な背景んついてくわしく調べるようなことがなくなります。やったことだけに焦点をあてます。以前と違って警察による調書の取り方も変わりました。昔は誰か要人が来日したときなどに、公安3課の人間が我々に一日中、ベッタリと張り付いていたものです。「今日は映画に行こうか、どこに飲みに行こうかな」と誘ってくることもありました。昔はそれだけ公安3課も予算があったんですかねぇ。今なんか、そんなのバレたら大変だ。

  ②、取り締まりについて

  ⅰ)、宮崎学氏

   ・共謀罪(実行行為がない場合でも、相談したり議論したりするだけで、刑罰を科すもの。)の場合は、まず右翼とヤクザが対象なんでしょうね。

  ⅱ)、岡理事長

   ・そうでしょう。法に引っ掛けようと思えば、なんでも引っ掛けられるわけだから。たとえば、会合の席などで、「あいつは悪い奴だ。あれはやらなきゃいけないねぇ」なんて言えば共謀罪になってしまいますからね。今でも街宣などは名誉毀損で引っ掛かる可能性があります。それに加えて共謀罪が成立してしまうと、本当に右翼に対する弾圧ですね。

 (4)、日常活動について(岡理事長)

  ・うちの場合、月刊で『大吼』という機関誌を出してます。ほかに渋谷駅頭で毎週土曜日、横浜西口では月一回、日曜日、それとその間、月、火、水と定例の街宣をしています。週に四日から五日は街頭宣伝をやっています。ほかの団体と比較すると、大行社の場合は、言論活動の手段をたくさんもっている方だと思います。出版を主としていくのがトップのスタンスであれば、組織はそのカラーでまとまりやすいんですが、うちの場合は、いろんな運動を目ざす人間がいます。力でいく人間もいれば、出版・言論活動にいくという人間もいるし、地域の活動をやって議員になった人間もいます。運動を包括的にやり、そのなかからいろんなものが出てくることが、うちのいいところだと私は考えています。

 (5)、ネット右翼について(岡理事長)

  ・いいんじゃないですか。強硬な意見がどんどん出て、徐々に日本としてのセンターというのが戻ってきましたからね。昔は全体的に左のほうに寄り過ぎていて、左の中間ぐらいがセンターと思われていた。今は元に戻ってきています。彼らが言うぶんにはなんでも言ってもらったほうがいい。我々の意見のほうが弱腰だといわれるのはいいことですよ。

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右翼団体小史(10) 日本青年社

 今回は右翼活動を行っている側のインタビューをまとめた『右翼の言い分』(アスコム、宮崎学、2007)と日本青年社のホームページより日本青年社についてまとめます。 

1、概要

 (1)、設立

  ・昭和36年(1961)に住吉連合会副会長で住吉一家小林会の初代会長である小林楠夫氏を中心に楠皇道隊を結成する。昭和44年(1969)に発展的に解消して、日本青年社となる。かつてはテロもおこなったが、平成12年(2000)に「右翼民族派改革元年」と位置づけ、過去の右翼の殻を破った新しいかたちの民族運動をやろうと「自然と共生 環境と調和」をスローガンに掲げる。現在は大衆的活動を意識しており、地方議員も抱えている。

 (2)、事件史

  ①、尖閣諸島魚釣島の実効支配
 
   ・昭和53年(1978)、尖閣諸島魚釣島に上陸して、点滅式灯台を建設して実行支配を行った。その後、北小島に第二灯台を建設、魚釣島に尖閣神社を建立。平成16年(2004)、維持管理を引き継ぎたいと内閣府から申し出があり、翌年、魚釣島漁場灯台は国家に無償移譲された。

  ②、噂の真相社襲撃事件

   ・平成12年(2000)、皇室を侮辱する記事(「雅子妃懐妊の兆し」と報じた際、敬称が略されていたことを「皇室への侮辱」ととった)を掲載したとして噂の真相社を日本青年社の三多摩本部隊長と副体調が襲撃し、スタッフ5人に怪我を負わせた。襲撃、スタッフに怪我を負わせる事件を引き起こした。

  ③、タイに平和祈願公園を建立

   ・平成7年(1995)、タイ王国に恒久平和を祈る殿堂として「平和記念公園」を建立している。

2、杉山洋理論文教局長(現会長補佐)のインタビュー

 (1)、テロ集団から政治団体へ

  ①、テロ集団から政治団体へ

   ・テロリズムによって世の中を活性化させていくという方法論は、ある意味で有効な戦術かもしれないけれども、非常に少数者のための戦術ですよね。日本青年社がそういう戦術に頼ってしまえば、日本の政治団体として、民族派として国民の支持を得られる団体には成長できないと思います。日本青年社は、じつは過去には最大のテロ集団でもあったわけですが、それについては反省しています。テロをやらないとか暴力反対と唱えるようになったというようなことではなく、そういうことに頼ってきたことで国民の支持を逆に失ってきたという側面をちゃんと見なきゃならないと考えました。

  ②、「右翼民族派改革元年」

   ・我々は平成12年(2000)に「右翼民族派改革元年」をスローガンにして、改革を始めました。我々は過去の右翼の殻を破った新しいかたちの民族運動をやろうと考えました。そのときから新しいかたちで進んでいるわけです。松尾会長が会長となったのは平成11年なんですが、ちょうど21世紀を迎えるタイミングでした。そうしたタイミングも重なって、新しい民族運動をやろうということになったんです。

  ③、議会について

   ・日本青年社は地方議員を抱えています。しかし、だからといって議会政党を目指しているわけではないんですね。かつてのロシア革命で、ボリシェヴィキなんかが5人の国会議員を抱えていました。少なくとも国会議員を5人ぐらいもてる力がないと、そういう革命もできないんです。政治活動ですから、ある程度は社会的な影響力は必要です。今後、議会でどれくらいの勢力をもつべきかは、我々にとって重要な問題ですが、我々は自民党に代わって権力を奪取しようと考えているわけではありません。

 (2)、ヤクザとの関係について

   ・日本青年社というのは、最初の会長が任侠の代表だったというひとつの事実がありました。組織や構成員が重なっていたことが過去にあったことは事実なんですよ。おそらく、日本の右翼のなかでいちばん、ヤクザとイコールにされている部分があった組織かもしれませんね。しかし、そうであったがゆえに、日本青年社という存在であるときには、純粋な民族派として存在したいという意識が当初からありました。それが日本青年社がほかの団体と違うところだと私は思います。私が入ったとき日本青年社は、たしかにヤクザみたいな人たち集団でした。しかし、「お前らヤクザは道の端っこを下向いて歩け。日本青年社でいる限りは道の真ん中を堂々と前向いて歩くんだ」ちうのが初代の教えでしたし、私たちもそう思ってきた。

 (3)、日本青年社の組織運営

  ①、入会者
 
   ・かつては先輩後輩の関係などを通じて入ってくる人が大半でしたが、日本青年社がインターネット上でホームページをもつようになってからは、我々のホームページを見て入ってくる人が増えました。ホームページを開設して以来、一般の人のメールで質問をいただいたり、意見をいただいたりすることが増えました。そうしたメールに我々が丁寧に答えていると、例えば街頭で定例の訴えをする際に、質問のメールを送ってくれた人が足を運んでくれたりします。そして、本格的に興味をもちはじめ、入会にいたるというケースが増えています。

  ②、入会資格

   ・無職の人には、入会資格がないんです。

  ③、活動資金

   ・日本青年社も昔は会長が会員全部の面倒を見ていました。しかしながら、日本青年社には自ら変革しないと生き残れないという意識があって、組織の運営内容も少しずつ変えてきたんです。昔の左翼の人たちがやっていたような、手弁当で運動することの重要性について私たちは気づきました。自分の体、自分の金を使って運動するんが本当の思想家なんです。我々は親方に「行ってこい」と命令されて活動に行く人夫ではありません。自分の意志で運動をやっているんです。

   ・他団体で、親方日の丸スタイルでやっている人たちは、どこかから親方のところにとんでもない金が入ってこないと、組織維持は不可能です。どこかに寄生するようなかたちでやっている団体は、自分たちの運動はまずできないと私は思います。自分たちに金を出しているところが関連する企業などを攻撃することはできないからです。そういうしがらみを全部切ってありますから、どこでも攻撃できるという強みが日本青年社にはあります。たしかに一人ひとりの負担は大変です。しかし、それを克服してきたから、今の組織があると私は考えています。

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右翼団体小史(9) 二十一世紀書院

 今回は右翼活動を行っている側のインタビューをまとめた『右翼の言い分』(アスコム、宮崎学、2007)より二十一世紀書院についてまとめます。野村秋介氏については『右翼の潮流』(右翼問題研究会、立花書房、1993)を参考にしています。

1、概要

 ・河野一郎邸焼き討ち事件、経団連襲撃事件などの直接行動を起こし、最期は朝日新聞社で壮絶な自決を遂げた野村秋介氏が昭和60年(1985)に設立した出版社。野村氏の自決後、蜷川正大氏が代表となった。野村氏の著作やビデオを出版するほか、月刊誌『燃えよ祖国』を発刊し、執筆、言論活動を行っている。

2、蜷川正大代表のインタビュー

 (1)、言論とテロについて

  ①、言論について

   ・右翼も含めて一般の人たちに対して「言論には言論で」といったところで、そういう場があるのか。これが私の疑問です。うちは出版社として、機関誌も出していますが、その数はだいたい1000部程度のミニコミです。私でさえ、1000人ぐらいが相手の言論の場しかもっていません。一般の人が政治や国家に対して不満があったとしても、言論によって訴えることは不可能です。言論の場というのは、大手のメディアのみがもつ特権的なものです。

  ②、野村秋介氏の「肉体言語」について

   ・僕は、政治運動というのは「書く」か、「しゃべる」か、「行う」か、3つしかないと思います。では、私たちは、どう表現していくか。野村の造語に「肉体言語」と言う言葉があります。別に書かなくても、しゃべらなくても、行いのすべてが言語であるという考え方です。僕らは、この思想の上に立っています。思想とは、自らの行いをもって表現するものだと私は思います。三島由紀夫さんも、最期はそう考えていました。右翼だけではなく、表現者や政治運動をやる人間には、その覚悟が必要です。

  ③、テロか天誅か

   ・野村は生前、河野邸を焼き討ちし、経団連を襲撃しました。いずれにおいても、野村は誰も傷つけませんでした。これはテロではありません。天誅だと私は考えます。私は「天に口無し、人を以って言わしむ」という表現の方法を肯定する立場です。私は、天誅を肯定しています。

 (2)、ネット右翼について

  ・非常に卑怯な人たちだと思いますね。自分を犠牲にすることを前提にしない発言や行動に、他人が感動をするはずはないと思っています。我々は直接行動を担保し、留保しつつ自分の発言をします。それが唯一、民族派に残された表現方法ともいえます。野村はつねに言っておりました。信念を貫けば十字架が待っているんだと。

 (3)、天皇について

  ・ご皇室の歴史を見れば、天皇というのは、とてもおおらかな存在なんです。軍服を着て、大元帥として君臨した期間というのは、たかだか80年ほどしかない。野村はよく、「その80年を見て天皇(制)やご皇を語っては、木を見て森を見ずになるから注意しなきゃいけない」と言っていました。「世の中が一つの意見に染まることは、国家にとっていいことじゃない。我々右翼の意見が100パーセントになったら怖くてしょうがない」って、よく言っていました。99パーセントが左だから自分は右に。つねに少数者であることの矜持、誇りを絶対に忘れてはいけない。それがないと体を賭けられないとも言っていました。

 (4)、大アジア主義について

  ①、蜷川正大氏

   ・北朝鮮の金王朝体制というものは、本来は、アメリカの手など借りずにアジアの力で潰すべきなんです。民間外交をもっと活発にする必要があると私は思います。その一方でアジア各国の政府が協調すればいいんです。仮に北朝鮮が潰れて難民が出たら、アジアの各国で引き取ればいいんですよ。

  ②、宮崎学氏

   ・日本の民族派はかつて玄洋社が主張していた大アジア主義に戻るかが問われているということですか。
  
  ③、蜷川正大氏

   ・おっしゃるとおりです。野村は遺著となった『さらば群青』という本のなかで、民族派は玄洋社の原点に戻らなければならないと書いています。

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