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帝銀事件(GHQの陰謀史観ー731部隊関係者犯人説ー平沢貞通冤罪説)につて

 今回は驚きももの木20世紀の「毒の伝説・帝銀事件46年目の真実」より帝銀事件をまとめます。「GHQの陰謀史観ー731部隊関係者犯人説ー平沢貞通冤罪説」でまとめています。

1、事件の発生
 
 ・昭和23年(1948)1月26日、帝国銀行椎名町支店は午後3時に閉店し行員達は伝票の整理や現金の照合をしていた。そのとき、東京都の赤い腕章をつけた男が入ってきて、「今日近くの相田方の前の井戸が感染源となって集団赤痢が発生した。その相田方の同居人がこの銀行を訪れたので消毒を行わなければならない。」と告げ、銀行内の全員に二種類の予防薬を飲ませた。行員達は男が最初に見本で飲んだので信用して飲み、数分後に倒れていった。男は近くにあった札束と小切手をもって逃走した。結局、行員16名中12名が死亡した。

2、警察の捜査

 (1)、合同捜査本部の設置

  ・警視庁は刑事部長藤田次郎を本部長としてすぐに合同捜査本部を設置した。

 (2)、捜査の方針

  ①、日本初のモンタージュ写真の作成

   ・犯人と思われる男が同じような手口で二つの未遂事件を起こしていたことが分かる。捜査本部はこれらの事件と同一犯と判断して日本初のモンタージュ写真を作成した。
  ②、捜査の方向性

   ・捜査本部は犯人の毒物に対する知識から、犯人を衛生防疫従事者、医師などの医療関係者、進駐軍関係者、帰還軍人と考えて、この方面での捜査を重点的に開始した。

 (3)、犯行に使用された毒物の謎

  ①、第一の謎

   ・犯行には第一薬と第二薬が使用された。この第一薬を犯人は行員の前で飲んだが犯人のみは死亡しなかった。これは捜査本部は第一薬には油のようなものが混ぜてあり犯人は上澄みの無毒な部分を飲み、行員には青酸化合物の部分を飲ませたと推測した。

  ②、第二の謎

   ・第二薬を飲ませる前に犯人は正確に1分の時間を測ってから飲ませた。それから2、3分して行員はすべて倒れた。第一薬をもし青酸カリと推定すれば、青酸カリは飲むとすぐに死ぬのでこのようなことはありえない。毒物はそもそも何であったのか?

 (4)、犯行に使用された毒物=青酸ニトリール説

  ①、意義

   ・捜査を担当した甲斐文助の『甲斐手記』の中にある旧陸軍登戸研究所の技術少佐の証言によると、「青酸カリはさじ加減によって時間的に経過をさせて殺すことはできないので帝銀事件の毒物は青酸カリではない。青酸ニトリールである。」とある。犯行に使用された毒物は青酸ニトリールの可能性がある。

  ②、青酸ニトリールとは?

   ・神奈川県川崎市にあった旧陸軍登戸研究所では謀略戦や諜報活動に必要な秘密兵器を開発していた。この登戸研究所が独自に開発したのが青酸ニトリールである。終戦直度のドサクサの中で2ケースの青酸ニトリールが行方不明になった。

 (5)、犯人は旧陸軍の731部隊関係者か?

  ①、青酸ニトリールで人体実験をやっていた731部隊

   ・アメリカの国立公文書館にはGHQに関する記録が残されており、その中に捜査本部の藤田捜査本部長がGHQに説明をした時の帝銀事件のファイルもある。このファイルの中に、石井四郎率いる満州第731部隊で開発された殺害方法と帝銀事件の殺害方法が酷似している旨が書かれている。この731部隊は昭和18年上海で帝銀事件と同じようは方法で青酸ニトリールの人体実験をマルタ(実験台)に行っていた。

  ②、捜査本部が石井四郎を尋問する

   ・この実験の存在を知った捜査本部はGHQの立会いの下で石井四郎の尋問を行った。石井は自分の部下の可能性もあると発言する。これによって、捜査は旧陸軍の関係者へ絞られ、何人か具体的な容疑者の名前も出てくる。

  ③、GHQとの裏取引により731部隊関係者への捜索が困難となる

   ・東京裁判においてスターリンは石井四郎などの731部隊の関係者を戦犯として起訴するように強く働きかけた。しかしGHQはこの要求を一切受け入れなかった。石井四郎は戦犯免除のかわりに人体実験で得た731部隊のノウハウのすべてをGHQに提供した。帝銀事件がおこる半年ほど前にこの契約が成立する。よって、捜査本部は731部隊の関係者を捜査することは困難になってゆく。

 (6)、平沢貞通の逮捕へ

  ①、平沢貞通とは?

   ・平沢はこの当時日本画の大家であった。最初は有名な画家であったので捜査線上から消されたが、警部補居木井為五郎が必要に上層部を説得して平沢の逮捕状をとる。

  ②、なぜ平沢貞通は疑われたのか?

   ・前記したように帝銀事件の前に同じような二つの未遂事件があった。この二つの未遂事件には名刺が使われた。二つの未遂事件で残された名刺はの一方の「山口二郎」は架空の人物であったが、「松井蔚(しげる)」は実在の人物であった。松井蔚は宮城県仙台に在住の医学博士であり捜査本部は事情聴取をしたが、松井にはアリバイがあった。松井の名刺はすでに92枚が名刺交換で使用されており、犯人が使用したのはこの92枚のうちの一枚であると考えて名刺交換した相手を捜索すると、青函連絡船に松井が乗ったときに名刺交換をした平沢貞通に行き当たった。

  ③、平沢貞通逮捕へ

   ・昭和23年8月21日、平沢は父親の実家に滞在していたが、北海道小樽で逮捕されて東京へ護送された。逮捕理由としては、上記の名刺のほかに、モンタージュの人相が似てる、事件後出所不明の大金を持っていた、事件当日のアリバイがない、コルサコフ症候群を持っていたという点であった。

  ④、平沢貞通への取調べ

   ・捜査陣の大半は平沢は白と考えて数日で釈放されると思っていた。目撃者11人が平沢の面通しをしたが誰も平沢を犯人と断定するものはいなかった。また、平沢は、捜査本部の予想に反して毒物の知識など全く持っていなかった。平沢は拘置所の中でたびたび自殺未遂をおこす。

   ・平沢の背後関係の捜査から、平沢が数件の詐欺事件に関与していたことが発覚する。平沢は別件の詐欺容疑で長い取調べをうける。平沢は昭和23年9月21日の第28回目の取調べの時に自白をはじめた。しかし、犯行の具体的な内容となると平沢の供述はあいまいなものであった。

  ⑤、あいまいな平沢の供述

   ・「コップを借りましたですね。そして薬をついでその薬が固まるんですよ。青酸カリなんですが私持ってないですから。」

    →実際に犯行に使われたのはコップではなく湯飲み茶碗であった。

   ・「私はそのコップに家から持って来たビンに入った濃塩酸」

    →実際の犯行に使われた毒物からは濃塩酸は検出されていない。

   ・「ビール瓶の様な形をしたものからお酒をつぐように直接瓶からコップにつぎました。」

    →実際の犯行で毒をそそぐために使われたのはピペットであった。

  ⑥、犯行に使われた毒物=青酸カリとされる

   ・遺体の検死は慶応大学と東京大学で行った。慶応大学の死体鑑定では死因を青酸塩としながらも毒物の種類は不明としたが、東京大学の死体鑑定では死因を青酸中毒とし毒物の種類を青酸カリあるいはナトリウムと断定している。平沢の逮捕前に出されたのが慶応大学の死体鑑定であり、逮捕後に東京大学の死体鑑定が出されている。結局東京大学の鑑定が採用されて帝銀事件の毒物は青酸カリとなる。つまり、平沢を犯人にするには旧陸軍の青酸ニトリールではだめで、市販されて平沢でも手に入れやすい青酸カリでなければならなかったのである。

  ⑦、平沢貞通起訴へ

   ・昭和23年10月12日、平沢は起訴される。なんの物証もなく本人の自白のみでの起訴であった。

3、裁判へ

 ・平沢は第一回公判で自らの自供を翻して無実を訴える。しかし、第一審判決は死刑であった。東京高裁でも控訴棄却。昭和30年(1955)4月7日に最高裁で上告棄却され5月7日に死刑が確定した。死刑囚となった平沢は37年間無罪を訴え続けて1987年に95歳で獄中で死去。 
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