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ヤクザ組織小史 山口組 第一次頂上作戦 

 今回は、『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、講談社、1998)と『撃滅 山口組VS一和会』(溝口敦、講談社、2000)と『ヤクザと日本』(宮崎学、筑摩書房、2008)より山口組の歴史をまとめます。

1、ヤクザに対する甘い取締り

 (1)、警察

  ・大正のはじめまでは、警察はヤクザの通夜バクチは黙認していた。

  ・昭和22年にGHQの主導のもとで、市および人口5000人以上の市街的町村ごとに自治体警察が設置された。自治体警察は、市町村長の所轄のもとに市町村公安委員会を置き、自治体警察を管理するとされたが、一部のヤクザはこの公安委員会を通して警察の予算権や人事権までも握った。

  ・刑事は情報をとるという名目でヤクザと社交をし、さらにはヤクザの上層部と対で飲めることがその刑事の実力を示す評価の基準にすらなっていた。

  ・警察官がヤクザ組織に横滑り、天下りすることが多々あった。

   →警察がこのような状態であったので、柳川組の谷川康太郎は「今のサツ官の半分をブタ箱にたたきこんでやれるだけのネタを持つ」と告白している。

 (2)、裁判所

  ・神戸地裁は、ヤクザ同士の事件では寛刑を言渡し、ヤクザがカタギに事件を起こした場合は検察の求刑を上回る厳刑を言い渡した。

2、第一次頂上作戦のはじまり

 (1)、意義

  ・昭和30年代後半くらいの時期に、山口組は組員18万4000人に膨張し自衛隊員よりも数が多かった。この頃が山口組ならびに近代ヤクザの最盛期である。しかし、高度経済成長期を経て、山口組ならびに近代ヤクザは経済面でも政治面でも、大企業と政府にとって不要な存在となっていった。また政府には、昭和39年10月10日にはじまる東京オリンピックに向けて治安強化をするために、ヤクザを排除したいという思いもあった。

 (2)、暴力団全国一斉取締=「頂上作戦」

  ①、内容

   ・「頂上作戦」とは、昭和39年から始まっヤクザのた全国一斉取締りのことである。下部の組員が法を犯すたびに検挙するだけではヤクザは潰れないので、組長や幹部クラスを何でもいいから容疑を見つけて逮捕して組織を上からつぶしてしまえという作戦なので「頂上作戦」という。

  ②、影響

   ・当時の住吉会会長、綿政会会長をはじめ大組織から中小の組の組長まで、昭和39年10月までに組長クラス932人、幹部クラス3547人が逮捕され、昭和41年9月までには本多会、住吉会、綿政会、日本国粋会など「広域暴力団」10団体が山口組を除いてすべて解散させられてしまった。

  ③、山口組の対応

   ア)、意義

    ・警察庁は、兵庫県警にテコ入れして、山口組壊滅作戦を発動し、山口組内の事業派と武闘派の対立に目をつけ、弱い事業派を標的に定めて攻め立てた。この結果、事業派の総帥岡精義は警察に屈して山口組を脱退した。そして、港湾荷役各社の組員は、田岡の指令によっていずれも山口組を脱退し、表向き、山口組の企業系列は壊滅した。

   イ)、山口組解散せず

    ・田岡は、たとえヤクザが日本の経済・政治・社会に対する存在意義を失っても、ヤクザの中でしか生きられない者たち、生きるために寄り集まってきた者たちにとっては、ヤクザの組はまだ必要なものであると考えて、山口組を解散させずに、脱退を申し出る者は無条件で認め、脱落しない者、脱落できない者だけに山口組を純化して、「解体的出直し」を図った。

3、第一次頂上作戦後の山口組

 (1)、意義

  ・山口組は頂上作戦の結果として、利益社会型ヤクザになりながらも、それまではまだ持ち続けていた神戸の地域社会、港湾の職域社会、芸能の共同体という共同社会との結びつきは断たれ、帰るべき共同体の懐を失った。その後の山口組は、企業社会の表層から深層まで深く浸透し、企業社会のダーティーな部分と癒着していった。

 (2)、第一次頂上作戦後の田岡

  ①、第一次頂上作戦前の田岡

   ・田岡は、第一次頂上作戦前は、船内荷役の甲陽運輸、神戸芸能社という高収益の企業をもち、また「下田ガス」会長、「共同企業」取締役など、合法的資金源を十二分に持っていた。よって、この頃の山口組は若衆からの上納金の徴収は行っていなかった。

  ②、第一次頂上作戦後の田岡

   ・第一次頂上作戦によって田岡は、甲陽運輸は三菱倉庫などの系列下され、神戸芸能社は倒産をするなど、合法的資金源を失った。よって、これ以後はこれといった収入源をもたず、若衆達が納める上納金(月20万円)やたまたま大金を儲けた若衆が田岡の心証をよくしようと思って運ぶ時々の上納金に頼るようになった。

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