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ヤクザ人物史 三宅芳一

 今回は、『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、講談社、1998)より岡山の現金屋初代・三宅芳一をまとめます。Vシネ化したくなるような面白い人生です。

1、八百屋

 ・三宅芳一はもともとは「現金屋」という八百屋であった。この現金屋という屋号は、売るにも買うにも現金をモットーとしたことによる。

2、逮捕

 ・三宅は昭和19年に恐喝罪で逮捕されたが、鹿児島県味野警察署の焼失に紛れて海軍将校に紛争して7ヶ月間逃亡した。

3、「内海のカポネ」

 (1)、現金屋の結成

  ・終戦後、三宅は旧軍用被服類を略奪横流しして巨万の富を築き、現金屋を結成する。彼のもとには数百人の子分が集まった。

 (2)、「内海のカポネ」

  ①、密貿易

   ・三宅は四艘の船を操って、沖縄・台湾との間で大工道具、生ゴム、砂糖、米軍衣料などの密貿易を行ったことから、進駐軍は三宅を「内海のカポネ」とあだ名した。関税のかからないこの密貿易で、三宅はさらに巨財を築いた。

  ②、検挙

   ・昭和24年、三宅以下百数十人の配下は、関税法違反で検挙された。

 (3)、解散

  ・昭和26年、法務府(のちの法務省)から解散命令をうけ、現金屋は解散をした。

 (4)、復活

  ・解散後、三宅は昭和27年に土建業現金屋三宅組と観光ホテル雅叙園を設立し、すぐに復活する。

4、「現金屋レース」と「現金屋議会」

 (1)、「現金屋レース」

  ・昭和27年、児島市(現倉敷市児島地域)に児島競艇場が開設された。三宅は開業とともにこれに介入し、昭和29年には児島競艇場の会場警備係長に任命された。以後、選手に八百長レースを強要するなど児島競艇場の全部門を握り、市民からは「現金屋レース」と呼ばれた。

 (2)、「現金屋議会」

  ・昭和23年に町村合併によって児島市が誕生した。三宅は昭和31年に児島市議会議員に初当選をした。さらに多数の子分をも児島市議会に送り込むんだので、市民からは「現金屋議会」と呼ばれた。昭和42年に児島市は倉敷市と合併した。

 (3)、水島臨海重化学工業基地へ割り込む

  ・昭和33年以後、三宅は水島臨海重化学工業基地へ割り込み、現金屋水島出張所を設けて、土地売買や工事請負などの利権を手に入れた。

5、山口組の岡山進出

 (1)、現金屋の跡目継承問題

  ・昭和37年、三宅は岡山県議会議員になることをめざしてヤクザを引退し、跡目に幹部の熊本親に譲ることをほのめかす。これに対して、現金屋の主流派である小畠春男一統は内紛を起こした。熊本親は昭和38年に山口組若衆頭・地道行雄から舎弟盃を受けた。

 (2)、熊本組の結成

  ・昭和38年、現金屋系福田会会員が、地道組岡山支部影山組組員を刺して重傷を負わせる事件が起こった。この事件によって福田会は解散に追い込まれ、この旧福田会の会員を結集して、地道組系熊本組が結成された。さらに、昭和39年に熊本親は田岡から山口組本家若衆の盃を受けて、山口組直系組織となった。

 (3)、現金屋の山口組入り

  ・熊本親が地道を結んでから、三宅も山口組との親密度を増していった。昭和38年に三宅は田岡から山口組客分の盃を受けた。さらに、昭和39年には児島市議会議員選挙に連続当選したのを機にヤクザを引退し、現金屋二代目を実弟の三宅一巳に譲った。その後、二代目・三宅一巳は田岡と四分六の兄弟分の結縁をし、現金屋も山口組入りをした。 


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