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ボナパルト家

 今回は、『歴史を作った世界の有名一族』(島崎晋、2009、PHP研究所)とウィキぺディアよりボナパルト家をまとめます


1、シャルル・ボナパルト


 ・ボナパルト家は地中海のコルシカ島の名家で、シャルルは弁護士であった。しかし、コルシカ島独立の闘士としてジェノバ共和国、そしてフランスと戦い、後にフランス軍に帰順して、懐柔政策により裁判所の判事となり、貴族の称号も与えられた。


2、ナポレオン・ボナパルト


 (1)、出生


  ・1769年に生まれる。奨学金で本土に渡って幼年学校、兵学校を経て歩兵少尉になったときにフランス革命を迎えた。司令官任命時には、1795年に起きた王党派の武装蜂起を鎮圧した将軍としても知られていた。


 (2)、権力掌握


  ・ナポレオンは倍の兵力だった相手に戦い抜きオーストリアから領土を割譲させたことで国内での人気が高まった。1799年、エジプト遠征中に本国の総裁政府の権威失墜を知ったナポレオンは、急遽パリに戻るとクーデターによる権力を掌握し、外交手腕を発揮して国際環境を改善し、内政改革も行って高い評価を得る。1804年には国民投票により皇帝となった。


 (3)、活躍


  ・皇帝になった後も、ロシアを撃破、ライン同盟結成で神聖ローマ帝国を解体、プロイセンに勝利し、ベルリンへと入城した。さらにイギリスとの通商を禁止する大陸封鎖令も発した。手にした領土は一族に与えられた。


 (4)、失脚


  ・1812年、ナポレオンはロシア討伐に出陣するも冬の到来で失敗して、逆にロシア・プロイセン・オーストリア同盟軍に大敗してパリ入城を許してしまう。1814年に退位。その後にパリに帰還して皇帝に復位するも、天下分け目のワールテローの戦いでイギリスのウェリントン将軍率いる同盟軍に敗れて、島流しにされ1812年に亡くなった。


3、ナポレオン2世


 (1)、出自


  ・ナポレオン・ボナパルトは1796年にジョセフィーヌ・ド・ボアルネと結婚しているが1809年に離婚し、翌年22歳年下でオーストリア皇帝フランツ1世の娘でありハプスブルク家の皇女でもあったマリー・ルイーズと結婚する。この二人の間に生まれたのがナポレオン2世であり、ナポレオンが認めた唯一の子である。


 (2)、早世する


  ・ナポレオン2世はナポレオン失脚後ハプスブルク家に身を寄せるが、1832年に21歳の若さでなくなり、ナポレオン・ボナパルトの血筋はここで途切れる。


4、ナポレオン3世


 (1)、出自


  ・ナポレオン・ボナパルトの弟にルイ・ナポレオンがおり、このルイが結婚してつくった子がナポレオン3世である。彼は、ナポレオン失脚後はロンドンに亡命していた。


 (2)、皇帝へ


  ・フランス革命により王制から立憲君主制になってもフランス国民の生活は変わらず、さらなる革命により1849年に第二共和制の憲法のもとで大統領選挙が行われた。この選挙に立候補して、英雄を求めるフランス国民の願望の下、得票率74%の圧勝で勝利し、1852年に皇帝として即位するとナポレオン3世と名乗った。


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