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『ヤクザと日本』を読む(1)

 宮崎学氏の『ヤクザと日本』(筑摩書房 2008)をまとめてみようと思います。「序章 ヤクザ観の相克」の部分です。

1、否定的立場

 (1)、丸山真男氏
  
  ・「無法者」の理念型

   ①、一定の職業に持続的に従事する意思と能力の欠如

    →市民生活のルーティンに堪える力の著しい欠如

   ②、ものへの没入より人的関係への関心

    →専門家には向かない

   ③、不断に非日常的な冒険、破天荒な「仕事」を求める

   ④、「仕事」の目的や意味よりも、その過程で惹起される紛争や波瀾それ自体に興味と興奮を感じる

   ⑤、私生活と公生活の区別がない。

    →特に、公的な責任意識に欠け、その代わりに私的な、あるいは特定の人的な義務感(仁義)が異常に発達している

   ⑥、規則的な労働により定期的な収入をうることへの無関心もしくは軽蔑。

    →生計を献金、たかり、ピンはねなど経済外的ルールからの不定期の収入もしくは麻薬密輸などの正常でない経済取引によって維持する。

   ⑦、非常もしくは最悪事態における思考様式やモラルが、ものごとを判断する日常的な基準になっている。

    →ここから善悪正邪の瞬間的な断定や「止めを刺す」表現法への嗜好が生まれる。

   ⑧、性生活の放縦。

 (2)、日本弁護士連合会

  ・「暴力団」とは、その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うことを助長するおそれがある団体をいう(暴力団対策法第二条)。

  ・「暴力団」の本質は、端的にいえば『暴力性』『組織性』『利欲性』にある。現代の暴力団は、まさに組織化された暴力を資本とする『利益追求集団』である。

2、肯定的立場

 (1)、猪野健治氏の『やくざと日本人』

  ・ヤクザは、部分社会の中にあって全体社会の権力である国家権力に反抗する集団に属して生きている者として、そうした集団が権力と対抗する際の「市民兵」や戦闘集団としてとらえる。しかし、国家権力に反抗する部分社会の内部において彼らヤクザに対する評価は低い。

  <引用>

     戦国末期におけるやくざ(カブキ者)は、武士社会に対する戦闘的抵抗者であったし、江戸時代に入っては、被支配者ー町人の側に立って市民兵的役割さえ果たした。幕末においては半農博徒が農民一揆の先頭にたったし、明治維新では、尊皇佐幕双方のゲリラ隊として、戦闘に加わっている。自由民権運動の壮士団の主流も、博徒系であった。大正以後にあっては社会主義運動・部落解放運動に一部のテキヤ・博徒が加わっている。しかし彼らは、すべての社会主義運動史から不当にも抹殺されている。

     やくざ集団の構成者は、何時の時代においても、社会から疎外された被差別階層であった。やくざの反権力性は、実はここからきている。やくざのいう『任侠道』とは、階級意識の感性的表現に他ならない。

 (2)、宮崎学氏

  ・丸山真男氏のメルマークを肯定的に表現する。

  ①、市民生活のルーティンに埋没しない。

  ②、人間関係を何より大事にする。モノよりヒトを関心の中心に置く。

  ③、非常事態に先頭に立って対処し、荒っぽい仕事を厭わない。

  ④、闘争、喧嘩、波瀾においてこそ真骨頂を発揮する。

  ⑤、「私」を捨てている。具体的な人間に対しての仁と義を尊ぶ。

  ⑥、賃金や報酬の奴隷にならない。そのとき入ってきたカネで生活する。

  ⑦、常に最悪事態における身の処し方を基準に考える。瞬間的に善悪を判断し、きっぱりと止めを刺す。
   
  ⑧、ブルジョア的な恋愛観や結婚観に縛られない。


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