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日本右翼運動史(14) 右翼は先の戦争(大東亜戦争)をどう見るのか?

 今回は『右翼の潮流』(右翼問題研究会、立花書房、1993)より日本の右翼の歴史についてまとめます。

1、戦争時の右翼

 (1)、意義

  ・先の戦争(大東亜戦争)時、右翼の大半は翼賛体制にのり、御用団体と化した。しかし、確かに大きな流れとしてはそうであるが、時節に流されずに一貫して批判した右翼も存在した。

 (2)、自説を一貫して守った人

  ①、中野正剛

   ・衆議院議員、東方同志会総裁の中野正剛は、満州事変以後は対米英強硬派であったが、開戦後は東条首相と官僚の統制経済を批判し、昭和17年の翼賛選挙には、反東条を掲げて非推薦で出馬して当選した。同年に東条内閣を打倒して粛軍を図ろうとしたが憲兵に逮捕されて、一時帰宅を許された時に割腹自殺をした。

  ②、影山正治

   ・影山は、大日本生産党の活動、「神兵隊事件」での検挙服役を経て、昭和14年に大東塾を創設した。影山は日中戦争を「覇道侵略的資本主義勢力をして恣意のままに大陸に進入せしめたなら、直ちに聖戦の意義を失い、及ぼして東洋民族千年の大愚を招かん」と批判し、東条政権も徹底的に批判して、塾生への徴用命令を拒否するなどの抵抗と批判を続けた。

  ③、石原莞爾

   ・石原は、陸軍軍人として満州に赴任して以降、「民族の絶対平等、日本の全ての権益の返還」を主張し、軍上層部批判と戦争不拡大を訴えた為に予備役に編入された。昭和14年に「東亜連盟協会」に参加して、アジア民族の相互尊重と主体性の上にたってのアジア諸国家連合の構想を説き続けたために、東条政権からにらまれて、石原は退役に追い込まれていった。

2、戦後の右翼の評価

 (1)、意義

  ・右翼は一様に、東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁いたものであり無効であるとし、東京裁判によって形成された歴史観(東京裁判史観)からの脱却を主張している。

 (2)、具体例

  ①、大東塾の鈴木正夫前代表

   ・東京裁判は、「日本国が共同謀議のもとに昭和3年より侵略戦争を行った」としているが、これは「平和に対する犯罪」という事後法による判決であった。これは正に勝者が敗者を裁いたもので、法の名を借りた無法であった、としている。

  ②、日本を守る国民会議(現日本会議)

   ⅰ)、国際裁判は当時の国際法に基づき公正に行われるべきであるが、東京裁判は当時の国際法に基づかず不公正に行われた。

   ⅱ)、紛争に直接かかわらない中立的立場のものが裁判官となるべきところを勝った側の連合国が裁判官となり、負けた側の日本を被告として裁いた。

   ⅲ)、犯罪行為は、犯罪時すでにあった法律で裁かれるところを、新たな法律を勝手に作って裁きを行った。

   ⅳ)、当時の国際法で裁いた戦争犯罪は、民間人の殺傷、捕虜の虐待等の従来の戦争法規に違反する行為を指す。これに基づけば原爆投下の米国やシベリアでの強制労働をさせたソ連も裁かれるべきが、日本のみが新たに作った法律で一方的に裁かれた。

   ⅴ)、勝手に法律を作って「平和に対する罪」で国家間における戦争の責任を個人に負わせ、証拠も明らかにされないまま日本の指導者たちを処刑した。

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